海外に子会社を設立した際、「当初は日本人スタッフだけだから」「規模が小さいから」と日本の雇用契約書をそのまま流用しているケースは少なくありません。しかし、準拠法を「日本法」と定めていても、現地国の労働法(強行法規)は当事者の合意を超えて適用されます。解雇・解任の手続きを誤れば数千万円単位の不当解雇訴訟に発展し、さらに親会社が「実質的支配者」として法人格否認の法理で訴えられるリスクもあります。本ページでは実際の事例をもとに、海外雇用トラブルの典型パターンと、現地法に対応した雇用契約書整備の実践ポイントを弁護士が解説します。
このページでわかること
海外子会社の雇用トラブル——3つの典型リスク
| ① 日本式契約の流用→ 強行法規違反 「準拠法は日本法」と定めても、現地の労働保護法(強行法規)は当事者合意より優先して適用される。解雇予告・退職金・労働時間規制などが問題になりやすい。 | ② 解雇・解任手続きの 不備→不当解雇訴訟 UK・EUでは書面通知・所定の予告期間・理由の明示が必要。手続き違反は不当解雇(Unfair Dismissal)請求を招き、高額の補償金支払い義務が生じる。 | ③ 法人格否認の法理→ 親会社まで訴えられる 子会社を実質的にコントロールしている親会社は、「法人格否認の法理」により子会社の責任を連帯して負わされるケースがある。子会社の独立性の確保が重要。 |
強行法規とは——なぜ「準拠法:日本法」が機能しないのか
契約書に「本契約の準拠法は日本法とする」と明記しても、雇用地国の強行法規(労働保護立法、最低賃金法、解雇規制等)は、その合意に関わらず適用されます。EUではローマI規則(Rome I Regulation)第9条がこれを明文で規定しており、英国・米国各州・オーストラリア等でも同様の原則が適用されます。すなわち、海外で雇用する以上、その国の労働法からは逃れられません。現地法を無視した雇用契約書は、いざトラブルになったとき「ないに等しい」状態になる危険があります。
⚠️ 海外雇用トラブル事例
状況
日本法人の㈱ABC製造は英国に販売子会社を設立し、事業拡大に伴い現地でDirectorをヘッドハンティングしました。当初は日本人スタッフ中心で小規模だったため、日本の雇用契約書をそのまま英訳して使用し、準拠法は「日本法」と定めていました。事業が順調に拡大した後、本社とそのDirectorが英国子会社の経営方針をめぐって対立するようになりました。
トラブルの経緯
本社はDirectorを解任することとし、解任通知を交付してDirectorは子会社を去りました。数ヶ月後、DirectorはABC英国子会社と日本の本社を相手取り、英国で訴訟を提起しました。請求内容は解任の不当性を理由とした損害賠償(Wrongful Dismissal・Unfair Dismissal)であり、本社に対しては「本社が英国子会社を事実上コントロールしていた」として法人格否認の法理(Piercing the Corporate Veil)の適用を主張しました。
問題の核心
日本の弁護士に相談した結果、「雇用・役員委任問題には現地の強行法規が適用されるため、準拠法を日本法と定めても英国の解雇法が優先される」との回答を得ました。英国では解雇に際して書面による適正手続き(ACAS Code of Practice)に従う必要があり、これを踏んでいなかった点が問題となりました。本社には英国での裁判対応を続ける財務的余裕がなく、多額の賠償金を支払って和解するほかありませんでした。
状況
精密機器メーカーF社はドイツに製造子会社を設立し、現地従業員が30名を超えた段階でも引き続き日本本社の就業規則を翻訳したものを使用していました。F社は現地事情に詳しくなかったため、ドイツ特有の「事業所委員会(Betriebsrat)」の存在を把握していませんでした。
トラブルの経緯
コスト削減のため残業規定と賞与制度の変更を一方的に通知したところ、従業員代表(Betriebsrat)から「当委員会の同意なしに行われた変更は無効である」と異議申し立てを受けました。ドイツの経営組織法(Betriebsverfassungsgesetz)では、就業条件の変更には事業所委員会との協議・同意が必要とされており、これを無視した変更は法的に無効でした。最終的には弁護士を介して改めて協議・合意のプロセスを踏み直すこととなり、半年以上の時間とコストが発生しました。
問題の核心
ドイツでは従業員数が5名以上になると事業所委員会の設置が可能となり、人事・労務事項への共同決定権が生じます。このような各国固有の労働制度を把握せずに日本式管理を持ち込むことは、重大なコンプライアンスリスクとなります。
✅ 解決事例
背景と対応
シンガポールに販売子会社を設立したG社は、当初から現地の弁護士事務所に依頼し、シンガポールの雇用法(Employment Act)および会社法(Companies Act)に準拠した英文雇用契約書を整備しました。DirectorについてはService Agreement(役員委任契約書)を別途作成し、①解任事由(Just Cause条項)、②解任時の通知期間(6ヶ月)、③退職慰労金の計算方法、④競業避止義務(Non-compete、1年・シンガポール国内)を明記しました。
結果
数年後にDirectorとの経営方針の相違が生じた際、G社はService Agreementの手続きに従い書面による解任通知を交付し、所定の通知期間に相当する金額を支払いました。DirectorはService Agreementの条件で解任を受け入れ、追加の訴訟は発生しませんでした。「最初の契約書整備に費用をかけたことで、後の大きな損失を防げた」とG社は評価しています。
背景と対応
米国に子会社を持つH社は、過去に「親会社が子会社の全決定を指示していた」として法人格否認の主張を受けたことがありました。法律相談の結果、以下の対策を講じました。①子会社独自の取締役会議事録の定期的な作成、②親会社との取引はアームズ・レングス(独立当事者間)原則に基づく書面契約の締結、③子会社名義の銀行口座・資産の明確な分離、④子会社の現地雇用契約書・就業規則をカリフォルニア州法に準拠した形に整備しました。
結果
その後、子会社の元従業員から解雇訴訟が提起された際も、子会社と親会社の独立性が明確に文書化されていたため、親会社への法人格否認請求は認められませんでした。子会社レベルでの対応で訴訟を解決し、親会社の財務・レピュテーションへの影響を最小化できました。
主要国の雇用法——日本との主な違い
| 項目 | 日本 | 英国 | 米国(多くの州) | ドイツ・EU |
|---|---|---|---|---|
| 解雇規制 | 強い(合理的理由が必要) | 2年勤務後は不当解雇請求可 | At-will(原則自由) | 最も厳しい部類(解雇保護法) |
| 解雇予告期間 | 30日前予告または30日分賃金 | 勤続1年目以降、1週間/年(最長12週) | At-willは不要(WARN法除く) | 最大7ヶ月(勤続20年以上) |
| 退職金・補償 | 就業規則次第 | Redundancy Pay(法定) | 原則なし | Social Plan協議が必要なケースあり |
| 従業員代表制度 | 労働組合(任意) | Trade Union(任意) | Labor Union(任意) | Betriebsrat(5名以上で設置可、共同決定権あり) |
| Director扱い | 委任契約 | 雇用者(employee)として保護されるケースあり | Officer(定款による) | Geschäftsführerは特別規定 |
※オレンジ色のセルは特に注意が必要な項目です。各国の法律は頻繁に改正されるため、進出時に現地弁護士への確認が必須です。
海外雇用トラブルを防ぐ5つのチェックポイント
弁護士からのアドバイス
強行法規とは、当事者がどのような合意をしても適用が排除できない法規範のことです。労働法はその最たる例で、最低賃金・解雇規制・労働時間規制・育休・差別禁止等の規定は、「準拠法:日本法」という合意があっても、雇用地国の強行法規として優先適用されます。海外での雇用は「現地の法律ルールに従うゲーム」です。日本のルールは原則として通じません。
英国では、会社のDirectorは必ずしも「雇用者(employee)」とはみなされず、委任関係(office holder)となる場合があります。ただし、実態として雇用関係があれば雇用者として労働権保護の対象となり、不当解雇請求が可能となります。Directorsであっても雇用契約書(またはService Agreement)を整備し、委任・雇用の性質を明確にすることが重要です。
子会社の法人格を認めると正義・衡平に反する場合に、親会社・株主に直接責任を及ぼすことを認める法理です。親会社が子会社の意思決定を全面的にコントロールし、子会社がペーパーカンパニーに等しい場合に適用されやすくなります。子会社の取締役会を形式的にでも機能させ、親子間取引を書面で行い、財務を明確に分離することが防衛策となります。
海外進出の際は、①設立前に現地の弁護士・労務コンサルタントに労働法の概要をヒアリング、②雇用契約書・就業規則の現地法版を作成、③Directorや上級管理職はService Agreementを別途整備、④解雇手続きフローを社内マニュアル化、⑤現地の法改正情報の定期収集体制を構築する、という手順が基本です。費用を惜しんで後からトラブルになるよりも、事前整備の方が圧倒的にコストが小さくなります。
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