英文契約書を読んでいると「for good and valuable consideration(十分な約因のために)」「in consideration of the mutual promises herein(本契約の相互約束を約因として)」といった表現が頻繁に登場します。このConsideration(コンシダレーション・約因)は、日本法には存在しない英米法独自の概念で、契約の有効成立要件のひとつです。約因がなければ契約として強制執行できないケースがあるため、英文契約書を扱う実務家には不可欠の知識です。本記事では、英国留学・ロンドン法律事務所勤務経験を持つ国際取引を得意とする弁護士が、Considerationの概念・実務上の問題・Estoppelとの関係をわかりやすく解説します。
【目次】
1. Consideration(約因)とは何か
2. なぜ英米法ではConsiderationが必要か
3. 英文契約書に登場するConsideration関連条項
4. 実務で問題になる場面——債務免除・分割払いの合意
5. Estoppel(禁反言)——Considerationがなくても認められる例外
6. Considerationの細かいルール——既存義務は約因にならない
7. さらなる例外——Hartley v Ponsonby の法理
8. 英国法・米国法・日本法の比較
9. よくある質問(FAQ)
Consideration(コンシダレーション)とは、日本語で「約因」と訳される、英米法(コモンロー)特有の概念です。一言でいうと、「契約における対価」に相当するものです。
Considerationは「約因の均衡性(adequacy)」を裁判所は関知しません。つまり、対価が市場価格と比べて著しく不均衡であっても、何らかの対価があれば約因として認められます。
✔ 典型例:1ポンドでの不動産売買
不動産を1ポンドで売買するという契約は、市場相場から見れば不合理に見えます。しかし、1ポンドという「対価(Consideration)」が存在する以上、英米法上は有効な契約として成立します。裁判所は対価の多寡を審査しません。
英米法(コモンロー)の歴史的発展の中で、「単なる約束(bare promise)」を裁判所が強制することには限界がありました。Considerationは、約束を法的に拘束力のある契約として区別するための基準として機能してきました。
Considerationが必要とされる理由(歴史的背景)
▸ 「相互の約束(mutual promises)」がある場合にのみ裁判所が介入するという政策的判断
▸ 無償の贈与約束(gift promise)と有償契約を区別し、裁判所が契約義務を強制する場面を限定する
▸ 当事者双方に「取引(bargain)」としての実態があることを要求する
ビジネス上の取引においては、当事者双方に何らかの対価的利益があることが通常のため、Considerationの有無が問題になることは例外的です。問題が顕在化するのは、主に契約成立後の債務変更・免除・猶予の場面です(セクション4参照)。
英文契約書には、Considerationの存在を確認・補強するための表現が随所に登場します。
これらの表現は、Considerationが存在することを契約書上に明示し、後日「約因がなかった」と争われるリスクを防ぐためのものです。英文契約書のレビュー時には、これらの条項の有無・記載方法を確認することが重要です。
Considerationが実務上特に問題となるのは、契約成立後に契約内容を変更・免除・猶予する合意をした場面です。
⚠ 典型的な問題ケース
Aは Bに対して100万円の債権を持っている。Bの資金繰りが苦しくなり、AはBに「50万円支払えば残りは免除する」と約束した。Bが50万円を支払った後、Aが「やはり残り50万円も払え」と請求した場合——コモンローの原則では、AのBに対する追加負担(対価)がないためConsiderationを欠き、債務免除の約束は強制できない可能性がある。
このロジックは次のとおりです。Bは支払うべき50万円を支払っているに過ぎず、Aは通常受け取るべき金額より少なく受け取っています。AがBに与えた「利益(分割払い・免除)」に対して、Bが新たなConsiderationを提供していないのです。
同様の問題は、建設・請負契約の追加報酬合意でも生じます。たとえば、期日までの完成が難しくなったため、発注者が請負人に「期日に間に合えばボーナスを追加で払う」と約束した場合——請負人はもともと期日までに仕事を完成させる義務を契約で負っています。新たな負担を追加で引き受けていないため、Considerationを欠き、追加ボーナスの約束は強制できないとされる可能性があります(Stilk v Myrick [1809])。
Considerationがない約束でも、Estoppel(エストッペル:禁反言の法理)によって保護される場合があります。
Promissory Estoppel(約束的禁反言)の成立要件
▸ 約束(promise):債権者が将来の権利行使を制限する旨の明確な約束をした
▸ 信頼(reliance):債務者がその約束を信頼して行動した(例:50万円を工面して支払った)
▸ 不公平(inequitable):約束を翻して原状復帰を求めることが債務者にとって著しく不公平である
EstoppelはEquity(衡平法)に由来する原則で、コモンローの厳格なルールが生み出す不公平を是正するために発展しました。ただし、EstoppelはあくまでDefensive(防御的)な権利とされています。
Estoppelは「盾」であり「剣」ではない
EstoppelはDefensive(防御的)な権利です。債務者が債権者からの請求に対して抗弁として援用することはできますが、債務者が自ら積極的に「債務不存在確認訴訟」などを提起して債務の消滅を確認することには使えません。あくまで、相手方が権利を行使してきたときに防御する手段(盾)として機能します。
Considerationには、「既に契約上の義務として負っているものは、約因として十分でない」というルールがあります(Pre-existing duty rule)。
Pre-existing duty rule の適用例
▸ 問題のある場面:発注者がインセンティブとして「期日に完成させたらボーナスを払う」と請負人に約束した
▸ 請負人の立場:元の契約で期日までの仕事完成義務をすでに負っている
▸ 結論:請負人は新たな負担を引き受けていないため、Considerationを欠き、追加ボーナスの約束は原則強制不能(Stilk v Myrick [1809])
この問題は実務上重要で、契約の変更合意(amendment)をする際に、変更を約束する側が新たなConsiderationを提供していない場合、その変更合意が無効とされるリスクがあります。
⚠ 契約変更時のConsideration対策
英文契約書の変更合意(Amendment Agreement)を締結する際は、双方が新たなConsiderationを提供する構成にする必要があります。実務的には、①変更合意書をDeed(証書)の形式(署名・封印・交付)で締結することでConsideration不要とする方法、または②象徴的なConsideration(例:「£1 in hand paid」)を明記する方法が取られます。
既存義務はConsiderationにならないというルールにも例外があります。既存の契約義務の内容に実質的な変化が生じた場合は、新たなConsiderationが認められることがあります。
Hartley v Ponsonby [1857] の事案
航海中に船員の多数が離脱し、残留船員の数と悪天候・過酷な航海条件を考えると、従来の賃金では残留船員が直面するリスクに対して著しく不均衡となった。船主は残留船員に割増賃金を約束した。
判決:船員の残留・継続航海は、当初の契約義務の内容とは実質的に異なる過酷な義務となっていたため、新たなConsiderationとして認められる。船主は割増賃金支払義務を負う。
このように、当初の契約義務の範囲を超える実質的な負担が生じている場合には、例外的にConsiderationが認められる可能性があります。ただし、この例外は限定的に解釈されており、「単に環境が変わった」程度では不十分です。
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弁護士 菊地正登(片山法律会計事務所)
弁護士歴23年・国際法務歴17年。英国University of Southampton LLMコースワーク修了、ロンドンの法律事務所Hill Dickinson LLP勤務経験あり。英文契約書の作成・翻訳・リーガルチェックを主な業務とし、英米法の実務的観点から国際取引をサポート。著書「海外取引の成否は『契約』で9割決まる」(幻冬舎)。
※本記事は一般的な情報提供を目的としており、特定の案件に対する法的アドバイスではありません。個別案件については必ず弁護士にご相談ください。※英国法・米国法の解説は2025年時点の情報を基にしています。法改正等により内容が変わる場合があります。
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