英国University of Southampton LLMコースワーク修了・ロンドンの法律事務所勤務経験を持つ弁護士が、英文契約書実務における重要概念「Void(無効)」と「Voidable(取消可能)」の違いを、判例を交えて解説します。日本法との比較も含め、国際取引に携わる法務担当者に向けた実践的な解説です。
【目次】
1. VoidとVoidableの基本的な違い
2. Voidとなる場合:強行法規違反とMistake
3. Mutual Mistake(双方的錯誤)とリーディング・ケース
4. Unilateral Mistake(一方的錯誤)とリーディング・ケース
5. Voidableとなる場合:Misrepresentation・Duress・Undue Influence
6. DuressのリーディングケースとEconomic Duress
7. 取消権の行使期限とReasonable Time
8. 英米法・日本法・その他法制度の比較表
9. よくある質問(FAQ)
英国コモン・ローにおいて、契約の効力には大きく2つの状態があります。Void(無効)とVoidable(取消可能)です。日本法にも無効・取り消しという概念の区別が存在しますが、英国法の概念と完全に一致するわけではありません。
Void(無効):契約は最初から存在しなかったものとして扱われる
Voidの場合、契約は端初から(ab initio)効力を持たないとされます。当事者がいかなる行動を取っても有効化されることはなく、売買目的物が第三者に転売されていても、原則としてこれを取り戻すことができます。
Voidable(取消可能):取消の意思表示がなければ有効な契約として扱われる
Voidableの場合、取り消しの意思表示(rescission)をするまでは、契約は有効として扱われます。また、第三者がすでに目的物を取得していた場合や、合理的期間(reasonable time)が経過した場合は、取消権を行使できなくなります。
Voidとなる主な原因としては、以下のものが挙げられます。
Voidとなる主な原因
・強行法規・強行規定違反:当事者の合意によって排除できない法律に違反した場合
・Mistake(錯誤):契約当事者が事実を誤認していた場合
・Illegality(違法性):公序良俗(public policy)に違反する契約
・Absence of consideration(約因の欠如):一定の場合
このうち、Mistake(錯誤)はさらにMutual Mistake(双方的錯誤)とUnilateral Mistake(一方的錯誤)に分けられます。
Mutual Mistakeとは、契約当事者双方が事実を誤認していた場合をいいます。代表的判例としてRaffles v Wichelhaus [1864] 2 H. & C. 906があります。
Raffles v Wichelhaus事件の概要
コットンの売買において、「Peerless」という船舶を用いて目的物を海上輸送するという契約が締結されました。ところが、その後10月と12月に出港予定の「Peerless」という名の船舶が2隻あることが判明。買主は10月輸送のものだと理解し、売主は12月輸送のものだと考えていたことが法廷で主張されました。結果、Mutual Mistakeにより、売買契約は無効(void)と判断されました。
このケースは、契約当事者双方が同じ言葉について異なる意味を持って合意した場合、真の合意(consensus ad idem)が存在しないとして契約が無効になることを示しています。
Unilateral Mistakeとは、契約当事者の一方だけが事実を誤認していた場合をいいます。著名判例としてHartog v Colin & Shields [1939] 3 All ER 566があります。
Hartog v Colin & Shields事件の概要
うさぎの皮の売買において、当時の慣習では数単位(per piece)で売買するところを、売主が誤って重量のポンド単位(per pound)でオファーをしてしまいました。これにより買主は大きな利益を得られる状況となりましたが、裁判所は売主にUnilateral Mistakeがあり、かつ買主がこれを知っていたと認定し、売買契約を無効としました。
重要な点は、Unilateral Mistakeが認められるには、一方当事者が相手方当事者の誤認を知っていたか、または知るべきであったという状況が必要である点です。単に一方が誤認していただけでは無効にはなりません。
Voidableとなる主な原因としては、契約締結の際に以下の問題が認められた場合が挙げられます。
Voidableとなる主な原因
・Misrepresentation(不実表示):虚偽または不正確な事実の表示により契約を締結させた場合
・Duress(強迫):不当な圧力(physical duress・economic duressなど)により契約を締結させた場合
・Undue Influence(不当威圧):特別な信任関係を利用して不当に影響を与えた場合
Undue Influenceは日本法の概念で置換できるものがなく、「不当な威圧」などと訳されます。弁護士とクライアント、銀行のマネージャーと顧客など特別な信任関係(fiduciary relationship)がある場合に特に問題になります。
Duressの著名判例としてNorth Ocean Shipping v Hyundai Construction (The Atlantic Baron) [1979] QB 705があります。
The Atlantic Baron事件の概要
船舶の売買において、船舶建造会社がUSドルの急激な下落を理由に、本来の売買価格に10%の上乗せを要求しました。買主がこれを拒絶すると、建造会社は「契約を破棄する」と述べました。買主は有効なビジネス関係の維持のためやむなくこれに応じましたが、裁判所はeconomic duress(経済的強迫)の要素が存在したと認定しました。しかし、買主がその後長期間にわたり当該合意に基づいて行動し続け、取消権を速やかに行使しなかったため、affirmation(追認)によって取消権が失われたとして、最終的にeconomic duressの請求は認められませんでした。
Economic Duress(経済的強迫)は、物理的な脅しではなく、経済的な圧力を不当に加えることにより契約締結を強いる場合を指します。現代の国際ビジネス取引において、この概念は特に重要です。
Voidableの場合、取消権を行使しないまま合理的期間(reasonable time)が経過した場合には、もはや取消権行使が許されなくなります。この点の著名判例としてLeaf v International Galleries [1950] 2 KB 8があります。
Leaf v International Galleries事件の概要
絵画の売買において、画家が誰であるかについてmisrepresentationがありました。売買から5年後に買主が取消権(rescission)を行使しようとしましたが、Court of Appeal(控訴院)はreasonable timeが既に経過したとして認めませんでした。
「合理的期間」がどれくらいかは事案によって異なりますが、本件では5年間が経過していたことが決め手となりました。実務上は、取消原因を知った時点で速やかに取消権を行使することが重要です。
契約の無効・取消に関する各法制度の比較です。
| 比較項目 | 英国法 | 米国法 | 日本法 |
|---|---|---|---|
| Void(無効)の効果 | 最初から効力なし・第三者にも主張可 | ほぼ同様。州法により若干異なる | 無効(民法119条)。遡及的に効力なし |
| Voidable(取消)の効果 | 取消まで有効。善意の第三者に主張不可 | ほぼ同様。rescissionによる原状回復 | 取消で遡及的無効(民法121条)。善意第三者保護あり |
| Mistakeの扱い | Void(双方的・重大な場合) | Voidableが多い。救済手段が柔軟 | 錯誤(民法95条)で取消。2020年改正で整理 |
| Duressの扱い | Voidable。Economic Duressも認める | Voidable。Economic Duressを広く認める | 強迫(民法96条)で取消。経済的強迫は認定困難 |
| 取消権の期間制限 | Reasonable Time経過で消滅 | 州法による。Laches(懈怠)法理あり | 追認可能時から5年、行為から20年(民法126条) |
Q1. Void契約に基づいて支払った代金は返還請求できますか?
A. 原則として返還請求できます。Void契約は最初から存在しなかったものとして扱われるため、既に給付した代金はUnfair enrichment(不当利得)として返還を求めることができます。ただし、双方に違法行為があった場合(ex turpi causa原則)は、返還請求が認められないことがあります。
Q2. Economic Duress(経済的強迫)の成立要件は何ですか?
A. 英国法上、Economic Duressが認められるためには、①違法または不当な圧力が加えられたこと、②その圧力が契約締結の決定的原因となったこと、③被害者に実質的な選択肢がなかったこと(practical compulsion)が必要とされています。The Atlantic Baron事件では、マーケットが狭く代替手段がなかった点が重視されました。
Q3. Misrepresentationがあった場合、損害賠償も請求できますか?
A. はい。英国ではMisrepresentation Act 1967により、Misrepresentationの類型(詐欺的・過失的・無過失)に応じた損害賠償請求が可能です。また、Voidableとして契約を取り消す(rescind)ことと損害賠償請求を組み合わせることもできます。ただし、取消権を失った後でも損害賠償請求は可能な場合があります。
Q4. 日本法人が英国法人と締結した契約にVoidの原因が発覚した場合、どうすればよいですか?
A. まず準拠法を確認し(英国法準拠か日本法準拠か)、英国法であれば英国法上のVoid・Voidableの原則が適用されます。Voidであれば契約は無効ですが、Voidableの場合は速やかに取消の意思表示をすることが重要です。合理的期間(reasonable time)が経過すると取消権を失うリスクがあるため、問題を認識した時点で直ちに法的アドバイスを求めてください。
Q5. 契約書にVoid/Voidableに関する条項を入れることはできますか?
A. 一定の範囲で可能です。例えば、特定の表明保証(representation and warranty)が虚偽であった場合の効果(取消権の行使期間の制限など)を契約書に明記することができます。ただし、強行法規に反するような条項(詐欺的なMisrepresentationの免責など)は無効とされます。また、取消権の行使期間を極端に短縮するような条項は公序良俗に反する可能性があります。
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この記事の執筆者
弁護士 菊地正登(片山法律会計事務所)
弁護士歴23年・国際法務歴17年。英国University of Southampton LLMコースワーク修了、ロンドンの法律事務所勤務経験あり。英文契約書の作成・翻訳・リーガルチェックを主な業務とし、英米法の実務的観点から国際取引をサポート。著書「海外取引の成否は『契約』で9割決まる」(幻冬舎)。
※本記事は一般的な情報提供を目的としており、特定の案件に対する法的アドバイスではありません。個別案件については必ず弁護士にご相談ください。※英国法・米国法の解説は2025年時点の情報を基にしています。法改正等により内容が変わる場合があります。
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