Lifting the Corporate Veil(法人格否認)——英国法における法人格の原則と例外

英国University of Southampton LLMコースワーク修了・ロンドンの法律事務所勤務経験を持つ弁護士が、英文契約書・国際取引実務における「Lifting the Corporate Veil(法人格否認の法理)」を解説します。ペーパーカンパニーを使った資産隠匿・競業避止義務回避など、実務上の重要場面を含めて解説します。

【目次】

1. 法人格(Legal Entity)の原則
2. Lifting the Corporate Veilとは
3. リーディング・ケース:Salomon v Salomon
4. 法人格否認が認められる場面
5. 競業避止義務回避と法人格否認
6. ペーパーカンパニーと債権回収
7. 英国法の近年の動向——Prest v Petrodel
8. 英米法・日本法・その他法制度の比較表
9. よくある質問(FAQ)

1. 法人格(Legal Entity)の原則

英国法の下でも日本法の下でも、自然人(個人としての人間)と同様に、企業(法人)には法人格(legal entity)が認められています。企業自体が株主や役員とは独立して法的権利義務の帰属主体となります。

これは、人間ではない観念的な存在である企業そのものが、契約の主体となって権利を有し義務を負い、もし訴訟になれば企業自体が原告や被告として判決を受けるということを意味します。この原則により、株主は個人としては会社の債務に対して責任を負わない(有限責任の原則)ことが保証されます。

法人格の原則がもたらすメリット

・株主は出資額を超えた個人的な責任を負わない(Limited Liability)
・企業財産と個人財産が法的に分離される(Asset Separation)
・企業は独立した主体として契約・財産取得・訴訟が可能
・株主が変わっても企業の権利義務は継続(Perpetual Succession)

2. Lifting the Corporate Veilとは

Lifting the Corporate Veil(法人格否認の法理)とは、この法人格というヴェール(veil)を一時的に取り除いて、法人の株主・役員の個人責任を認める理論です。

法人格の原則は、正当な目的のために活用される限り尊重されます。しかし、法人格を形式的に利用して不正目的を達成しようとした場合(資産隠匿・義務逃れ等)には、例外的に法人格を否認し、実質的な支配者(株主・役員)の個人責任を認めることがあります。

法人格否認が問題となる典型的な状況

・ペーパーカンパニーを使った資産隠匿・債権回収妨害
・個人の競業避止義務を逃れるための100%子会社設立
・詐欺的な目的でのグループ会社の利用
・実質的に同一人物が支配する複数法人を使った義務逃れ

3. リーディング・ケース:Salomon v Salomon

法人格否認の法理のリーディング・ケースとしてSalomon v A Salomon & Co Ltd [1897] AC 22があります。このケースは、法人格の独立性を強く認めた歴史的判例です。

Salomon v Salomon事件の概要

ある家族経営会社があり、同社が借り入れた金員につき、その債権者は当該会社ではなく大株主(Salomon氏)の財産を目的にできるかが争点となりました。この会社の株主構成は全株式2万7株のうち1人が2万1株を保有し、その他を家族のメンバーが保有するという実質1人の株主による支配会社でした。House of Lords(当時の最高裁判所相当)は、同会社の債権者は実質オーナー株主個人の財産を目的にすることはできないと判示しました。

このケースは、たとえ事実上ほぼ1人に支配されている会社であっても、法人格は尊重されることを明確にしました。法人が別人格を保有するという原則は、簡単に覆るものではありません。

4. 法人格否認が認められる場面

英国法において法人格否認(lifting the veil)が認められる場面は限定されており、判例法上、以下のような状況でのみ認められる傾向があります。

法人格否認が認められる可能性がある場面

詐欺目的の法人利用:法人格を詐欺的目的のために利用した場合(Jones v Lipman [1962])
単なるファサード(facade):法人が実質的に個人の利益のためだけに存在し、独立性が全くない場合
グループ内での代理関係:子会社が親会社の代理として行動していた場合(限定的)
法令による特別規定:Insolvency Act 1986等の法令で明示された場合

重要なのは、英国の裁判所は法人格否認に対して非常に慎重であり、安易に法人格を否認することはしません。法人格否認が認められるのは例外的な場面に限られます。

5. 競業避止義務回避と法人格否認

競業避止義務の文脈での法人格否認の問題について詳しく説明します。

従業員が企業を退職する場合に、当該従業員が退職後にその企業と競業する業務に就くことを禁止する競業避止義務が雇用契約に定められていたとします。この従業員が、当該企業を退職した後、個人事業主として自ら競業事業を行うのではなく、100%出資により会社を設立し、その会社に同事業を行わせたという場合はどうなるでしょうか。

競業避止義務回避への法人格否認の適用

形式的には、企業は別人格ですから禁止された従業員自身の競業避止義務は破られていません。しかし、この企業は当該従業員の100%出資会社ですから、実質的には人格は同一であるとも言えます。

英国の判例(Jones v Lipman [1962])では、法人格が義務逃れのためのファサードとして使用されていた場合には、法人格を否認して元の義務の履行を強制することが認められています。

6. ペーパーカンパニーと債権回収

いわゆるペーパーカンパニーを設立し、財産を同会社に所有させているものの、実質的なオーナーはその株主である場合に、この株主に対する債権を回収するためにペーパーカンパニーの財産を目的にできるかという問題があります。

この場面でも、あくまで債務者は株主個人であり、ペーパーカンパニーではありません。形式的にはペーパーカンパニーの財産に執行することはできないのですが、株主とペーパーカンパニーを実質同一視して、ペーパーカンパニーの財産に対する執行を許すのが法人格否認の法理です。

ただし、このような法人格否認が認められるためには、ペーパーカンパニーが真に独立した事業目的を持たず、単に資産隠匿のために使用されていたことを立証する必要があります。

7. 英国法の近年の動向——Prest v Petrodel

英国最高裁判所(Supreme Court)はPrest v Petrodel Resources Ltd [2013] UKSC 34において、法人格否認の法理の適用範囲を明確にしました。

Prest v Petrodel事件のポイント

離婚訴訟において、夫が支配する会社に所有させていた不動産を妻への財産分与の対象にできるかが争点となりました。最高裁は法人格否認の適用を非常に限定的に解釈し、「法的義務を逃れるために法人格が利用された場合(Evasion principle)」のみに限定することを明確にしました。単に株主が支配していたというだけでは法人格否認は認められないとされました。

この判決により、英国法では法人格否認の適用がより一層限定的になりました。法人格否認が認められるのは、法的義務を逃れるために意図的に法人格を利用した場合(Evasion)に限られるとされています。

8. 英米法・日本法・その他法制度の比較表

法人格否認の法理に関する各法制度の比較です。

比較項目 英国法 米国法 日本法
法人格否認の根拠 判例法(コモン・ロー)上の例外。非常に限定的 各州の判例法。Alter Ego / Piercing the Corporate Veil 判例法理(最判昭44.2.27等)。実質的同一・濫用防止
認められる条件 Evasion principleのみ(Prest v Petrodel後) Unity of Interest + Inequitable Resultのテスト 法人格の形骸化または違法目的への利用
適用の頻度 非常に限定的(近年より厳格化) 英国より比較的広く認められる 限定的。形骸化は非常に厳格に判断
グループ責任 原則として親会社は子会社の債務について責任を負わない 同様。ただし州によりEnterprise Liability理論あり 原則として親会社は責任を負わない
有限責任の例外 Insolvency Act 1986(詐欺的取引・違法取引) 各州法による。詐欺・故意の不法行為等 会社法429条(特別清算)等

9. よくある質問(FAQ)

Q1. 英国の子会社と取引する場合、親会社を保証人にする必要がありますか?

A. 英国法の下では、親会社は子会社の債務について自動的には責任を負いません。子会社との取引において親会社の信用を担保にしたい場合は、明示的に親会社保証(Parent Company Guarantee)を取得することが必要です。特に財務基盤の薄い子会社との大型取引では、親会社保証の取得を検討することが重要です。

Q2. 取引相手が倒産した場合、その親会社に支払いを求めることはできますか?

A. 原則として、取引相手の法人が倒産した場合、親会社に支払いを求めることはできません。ただし、①親会社が明示的に保証した場合、②親会社が詐欺的目的で子会社の法人格を利用した場合(Evasion principle)、③英国法上のInsolvency Act 1986の特別規定が適用される場合などは例外があります。重要な取引においては、取引相手の親会社保証を事前に取得しておくことを強く推奨します。

Q3. 競業避止義務を英文雇用契約書に定める際の注意点は?

A. 英国法における競業避止義務(Non-Compete Clause)が有効とされるためには、①保護すべき正当な利益(legitimate business interest)があること、②禁止の範囲(地域・期間・業務内容)が合理的であること、という要件を満たす必要があります。法人格を使った回避を防ぐためには、禁止の主体に「当該従業員が支配または実質的な利益を有する法人・組合等」も含める旨を明記することが有効です。また、禁止期間は通常6ヶ月〜2年以内が合理的とされています。

Q4. 相手方がペーパーカンパニーを設立して資産を移した場合、どのような法的手段がありますか?

A. 債権回収の観点から、以下の法的手段が考えられます。①法人格否認(Lifting the Corporate Veil)の申立て——ただし認められるのは例外的、②詐欺的取引として取引の取消(Transaction at Undervalue)——英国Insolvency Act 1986 s.423により、詐害的目的の資産移転は取消可能、③差押え前の禁止命令(Freezing Order/Mareva Injunction)——資産隠匿の疑いがある場合に裁判所に申立て可能。いずれも要件が厳格であり、専門家への相談が不可欠です。

Q5. 日本法における法人格否認の法理と英国法の違いは何ですか?

A. 日本の最高裁(昭44.2.27)は法人格否認の法理として、①法人格の形骸化(実質的に法人格が存在しない場合)と②法人格の濫用(違法目的のための法人格利用)の2つの場合を認めています。英国法(Prest v Petrodel後)では主にEvasion(義務逃れ目的)のみに限定されており、日本法の「形骸化」に相当する概念は英国法では認められにくくなっています。したがって、英国法準拠の取引では、日本法より法人格否認が認められるハードルが高いと理解しておくことが重要です。

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この記事の執筆者

弁護士 菊地正登(片山法律会計事務所)
弁護士歴23年・国際法務歴17年。英国University of Southampton LLMコースワーク修了、ロンドンの法律事務所勤務経験あり。英文契約書の作成・翻訳・リーガルチェックを主な業務とし、英米法の実務的観点から国際取引をサポート。著書「海外取引の成否は『契約』で9割決まる」(幻冬舎)。

※本記事は一般的な情報提供を目的としており、特定の案件に対する法的アドバイスではありません。個別案件については必ず弁護士にご相談ください。※英国法・米国法の解説は2025年時点の情報を基にしています。法改正等により内容が変わる場合があります。

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